薄氷の続き

 

薄氷の続きを描いている日々。

 

寒い日もあるけれど、もう春だなと、すぐ溶けていく雪に思う。

この絵の下図は去年の晩夏に出来上がっていた。

こんなに季節も移ったのに、自分は何をしていたんだろう。

 

 

「だって、細かいんだもん」と、自分に言い訳をして、焦らないようにしている。

出来上がりは3m、私には長い道のりだ。

桜咲く前には仕上がりたい。

 

13年ぶりの薄氷

 

瞬く間に1月は終わり。

やっと、9月に予定の個展出品作品に墨を入れ始めた。

 

 

左側から描き始めた。

極、淡い墨で、そおっと。

 

モチーフは薄氷から見え隠れする小石。

13年ぶりの薄氷のシリーズの新作になる。

薄氷の後、水蒸気や煙を描いた経験を生かして、

ゆらゆら解け開くような様を描きたい。

 

平穏な一年を願うお正月

 

愛犬の黒豆に似た鼻光る

 

父宅で父の愛犬テツと元旦、2日を過ごしました。

大地震に、飛行機事故という、大変な年明け。

大きな幸福や幸運ではなく、大切なのは

平穏な日常なのだと知らされる思いがする今年のお正月です。

 

贈り物でいただいたおせちを父といただいていましたら、

父の愛犬「テツ」が、おせちに鼻を寄せ、興味津々でした。

ちょうどテツの鼻先に、黒豆があり、

その様子が可笑しく可愛らしかったので歌に詠んでみました。

 

 

この写真は幼稚園の頃の私と、初めて飼った「チャアチャ」という雑種犬です。

チャアチャの鼻も、黒豆にてしっとりツヤツヤで、それを眺めるのが好きでした。

そんな小さな幸せを、これからも大事に受け止めていきたいと思います。

今年のこと

 

本年も大変多くの皆様にお世話になりました。

心より感謝申し上げます。

 

今年も瞬く間に過ぎていく日々でした。

目の前のことを、ひとつずつ、ひとつずつ乗り越えて、気づけば大晦日です。

そんな事ごとの中で、1番心に残ったのは

仙台、北四番町にあるカフェ&ケーキのお店、

Kotonoha(コトノハ)さんで始まった色鉛筆の絵画教室です。

アスパラガス、カボチャ、いちご、四季折々の花など、

生徒の皆さんが喜んでくれるかとモチーフを探すのも楽しく、

モチーフを真剣に見つめて、

描いている皆さんのお姿を拝見するのも嬉しいです。

 

他に記憶に残ったのは、来年の干支「辰」を描くことに苦心したことです!

F4の作品に2ヶ月以上かかってしまいました!!

実際に目にできないものを描くことの難しさ、また、昔の画家の凄さ、

特に、明治の日本画家たちの龍の作品に、胸打たれました。

自分が龍を描くことにならなかったら、

その凄さに気づかず、漫然と眺めていたことと思います。

苦労はしましたが、学ぶことの多い制作となりました。

 

 

そして、来年秋に予定されている個展(於:ギャラリー和田)のための作品に着手したこと。

モチーフは20年近くぶりの「氷」です。

下図から、トレーシングペーパーに1本線を掬い取っていくところまで終わらせました。

新年、明けましたら、用意していたパネルに紙を張り込み、選りすぐった一本線を転写していきます。

ていねいに描き進めたいと思います。

生活も、ていねいに、そんなことを思っている大晦日なのでした。

 

ファインダー越しのお月見

 

昨夜は中秋の名月、ぜひお月見がしたかった。

お団子は用意できなかったけれども、しっかり見ておきたい。

だって、次のチャンスは7年後だというのだもの。

その時に、私の目がどのくらい見えるのか心配だった。

 

果たして、ベランダから肉眼で見る月は

白く輝いていたけれども、

乱視が進んだ私の目には振れて、正円に見えない。

メガネをかけてみてもだめだった。

しょんぼり。

 

と、そこで思いついたのは、だいぶ昔のデジタル一眼レフ。

望遠レンズを取り付け、ファインダーを覗くとくっきり月が見える。

マニュアルにして、どうにか撮影もできた。

 

市場では一眼レフはミラーレスに押されきっているけれど、

鏡を使って、像を結ぶ仕組みは、今も魅力に思う。

肉眼では見えなかった月を、ファインダー越しにでも見られたのは嬉しかった。

月の光を確かに目に届けてくれたかつての愛機に感謝である。

人を描くと

 

振り返ると7年くらい人物を続けて描いていた。

多くの場合、モデルはMさんで、

他に3人、ネットで知り合った方にもモデルをしていただいた。

仕上げは日本画になるのだけど、

クラフト紙に鉛筆で描いている時が好きだった。

 

 

Mさんをふたりにしてみたり、

 

 

寝姿を宙に浮かせてみたり、

 

 

背中に翼らしきものを描いてみたりもした。

 

 

元気がなくても、

なぜだか人なら描けたのだった。

 

人付き合いは難しいなぁ、人は苦手だ、

などと思っていたけれど、

辛い時に、助けになるのは人なのか。

自分にとっては、びっくりで大きな発見だった。

 

猫描き5

 

氷と小石の下図ができあがったので、

今日はひさしぶりに、絹本の猫の続きを描いていた。

いつもは最後に入れるヒゲを先に片側だけ入れてみる。

この絵はとても小さい、0号だ。

子猫を小さな作品にしてみたかったのだけど、

子猫というより、少年猫くらいの年頃になった気もする。

夏の思い出

 

 

今年の夏の思い出は、長い改修工事が終わった

函館ハリストス正教会のお祝いのため、北海道に行ったことだ。

私は海外に行ったことがない。

それどころか、本州を出たのも今回が初めてである。

 

私は海が怖いはずなのだけど、函館の海は少しも怖くなかった。

海は深い青で、どこまでも広かった。

 

 

きれいに生まれ変わった聖堂はとても可愛らしい。

これから年月を経て、屋根の白緑は色を深めていくとのこと。

 

 

空の青、海の青の間に広がる街。

 

 

これまた可愛らしい灯台。

 

 

カトリックのトラピスト修道院にも行き、

おいしいソフトクリームをいただきました。

 

 

五稜郭タワーにも登らせてもらって五稜郭を見渡し、

その後、五稜郭内を歩いた。

ちゃんと観光もできて「お仕事じゃない旅なんて何年ぶりだろう」と、

一体、どれくらい感ずにきただろうワクワク感で胸がいっぱいで、

こんなに楽しくて良いのかな?なんて思ったりするくらいだった。

 

 

自分へのお土産は、山下りんのイコンのポストカード。

 

 

二泊三日の函館旅行は、側から見ればちいさな旅だと思う。

でも、私には大きかった。

書き始めれば、止まらないほど、いろいろなことを感じ、考えた。

20年近くぶりに、薄氷の絵を描こうと思ったのもこの旅のおかげだ。

 

9月には、大好きな作家さんの展覧会を拝見に上京する。

東京往復中には、山下りんのことを小説にした

朝井まかてさんの「白光」を読もうと思っている。

 

 

また、函館に、きっと行こう。

夏過ぎて

 

暑い。

けれども、暑さの角が取れてきたな、と思えたのが数日前だ。

立秋を過ぎていたことに気付いて、暦は正しいとあらためて思う。

「あ、鶏頭の季節」と、

花屋に小走りリンドウと共にお迎えしてきた鶏頭の花。

 

 

鶏頭の背景に写るのは氷と小石の小図、やっと出来上がった。

 

 

数年前の8月半ば、撮したオオミズアオをPCから見つけ出す。

蝶と蛾は同じ鱗翅目の仲間だけれど、何故だろう、

蝶は夏、蛾は秋が似合うように思う。

 

もうすぐ私の誕生日だ。

子供の頃、自分は夏生まれと意識していた。

夏が苦手で、秋が好きだった私は、

暦によると秋生まれと知って、嬉しく思ったのだけれど、

多分、人生においても秋なのだろう今となれば、

過ぎた夏が華のように思え、心残りを感じたりする。

 

 

‥‥、なんて言っていると、秋はもっとあっという間だぞ。

心残りなぞと感じるいとまもないほど、今、今に集中せねば、だぞ。

と、思う秋のはじまりなのであります。

 

小石と氷5

 

全体だとこんな様子だ。

 

 

細部はこのような状態。

 

溶け合い、混ざり合いながら、姿を現す、魚やカタツムリ、無数の人の顔。